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私の場合?1人目の天使? 
1人目の天使がやってきたのに気付いたのは、2001年6月。
「子どもが欲しいね」と話してすぐでした。毎日、胃がむかむかするし、胸が張って触っただけでも痛い。最初は、「胃が悪いのか?」とか、「乳がん?」なんてバカな事を考えてました。生理予定日からまだ2日ほどしか経っていなかったけど、「もしかして妊娠してるんじゃない?」どちらからともなく、冗談半分で言い出しました。
早速、妊娠検査薬を試してみると、あっという間に陽性のラインが!何だか2人とも半信半疑で、別の検査薬を買ってきて3回くらい試したのですが、どれもやはり、あっという間に陽性。
私は、びっくりしたのと、何だか怖くなって涙が出てきました。夫はかなりうれしそうで、目を潤ませてました。
2回目の受診のとき、初めて心拍が確認できました。8週目に入っていたと思います。モニター画面の中で元気に動くその姿を見たとき、うれしくて思わず涙が出てきました。
それまで、つわりの症状があっても、妊娠しているという実感がイマイチなかったのですが、その時、「私のお腹の中に命が宿っているんだ」そう実感できたのです。

しかし、別れは突然やってきました。心拍を確認したわずか2日後でした。軽い腹痛が長時間続き、茶色いおりものが出始めたのです。お腹に痛みを感じる事は、それまでにもよくあったのですが、すぐにおさまっていたし、今回も大丈夫だろうと思っていたのです。
病院に行って、内診台に上がりました。先生はなかなかモニター画面を見せてくれません。私の中を探るように、じっくりと診てくれていました。そして、「この前は、心拍確認できたんだよね?」そう言いながら、やっとモニターを私のほうに向けました。
「赤ちゃんが動いてないんだよね・・・」そう言いながら、先生と私はしばらく赤ちゃんの様子を見守っていました。でも、どんなに長い時間見ていても、赤ちゃんは動きません。先生の話を聞いていても、まともに耳には入りませんでした。
病院から、仕事中の夫に電話しました。受話器の向こうで夫の声が震えていました。
そのまま、血液検査や胸部レントゲン、心電図など、全身麻酔での手術に備えて検査を受けました。その間は、なんとか気を張っていましたが、会計を済ませ、夫が迎えに来るのを待つ間、待合室の椅子で、ハンカチを顔に当て、顔を上げることができませんでした。

翌日、入院。付き添っていた夫が、面会時間が終わって帰るとき、私のお腹に手を当てて、祈るように赤ちゃんに話しかけていたのが今も忘れられません。

その夜、子宮口を開くために、ラミナリヤという薬を挿入されました。これが、挿入する時もその後も、痛いのなんの・・・。眠る事ができず、何度も看護婦さんを呼んで、痛み止めの飲み薬、座薬いろいろ試してもらいました。子宮口が開いているということは、お産のときもこんな感じなのかな、なんて少し考えたりもしました。
翌朝、高知の実家から来てくれる母を迎えにいった夫とは会えないまま手術の時間になりました。
分娩室まで歩いていったのですが、歩きながら、泣けてきて、看護婦さんが背中をさすってくれていました。「悲しい事だけど、次の妊娠のために、今はがんばらきゃ。」看護婦さんがそう励ましてくれました。
分娩台に上がったとき、「ご主人とお母さんが到着して、病室で待ってますよ」と教えてもらいました。少し、勇気が出たように思います。

全身麻酔の中、私は不思議な夢を見ました。壁も天井も床もすべてがピンクでふかふかした狭い部屋の中。私は、壁に何度もぶつかりながら、ふらふらと漂うようにいるのです。一体何なのだろう・・・そう思っていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえました。その声は、私を起こそうとする看護婦さんの声でした。看護婦さんの顔がぼんやりと見えたかと思うと、お腹に激痛を感じました。それと同時に、「もうこのお腹の中に赤ちゃんがいない」そう思いました。すると、なんだかパニックになってしまって、呼吸がまともにできなくなりました。看護婦さんと先生が、「深呼吸して!」と言うのですが、ますます苦しくなってきます。「このまま赤ちゃんと一緒に死ぬんだ」そんなことまで考えてました。何とか、落ち着きを取り戻しましたが、病室に運ばれてきた私の顔色悪さを見て、夫はかなり驚いたそうです。おろおろしている様子の夫に、母が、「手を握ってあげて」というのが聞こえました。久しぶりの母との再会がこんな形になるとは・・・。

初めての流産だったので、特に検査は必要なかったのですが、今後のために、赤ちゃんの染色体の検査だけしてもらいました。そして、染色体の異常が見つかりました。初期の流産の原因のほとんどが胎児の染色体異常。私だけが特別というわけではなく誰にでも起こりうる事。先生にそう言われたし、私もそう信じていました。
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私の場合?2人目の天使? 
2人目の天使は、思いがけずすぐにやってきました。
1回目の流産後、生理が始まらないまま、妊娠していたのです。「生理が3回来たら」と言われていたので、何だか、先生と顔を合わせづらいな?と思っていたのですが、少し、苦笑いされたような感じはしたけれど、「流産後すぐだからといって、それがまた流産の原因になるとは限らない」と言ってくれました。
ところが、胎嚢が確認できなかったのです。生理が来ないままだったので、週数もはっきりしないけれど、「前の妊娠の影響が残っていて、妊娠反応が出たのでは?」とも言われてしまいました。その日は、血液検査だけして、また後日あらためて受診することに。

二日後、下腹部に激痛と、出血。痛みはどんどん激しくなり、出血も増えていきます。夜だったので、救急外来に行きました。研修医のような若い女の先生でしたが、苦しむ私に向かって、「あなた、先生にまだ妊娠の許可が下りてなかったんじゃないの?ちゃんと避妊してなかったの?血圧も高いじゃない!」と叱るばかり。お腹痛くて、出血もひどい時に、血圧だって正常なわけないじゃない?だいいち、主治医の先生にだってそんな言われ方しなかった・・・。不安と怖さは強まるばかり。結局、その先生も胎嚢がはっきり分からず、他の先生まで呼んできて診てくれたのですが、はっきりしません。
私をあんなに叱りつけておいて、何の処置もなく、「流産しかかっているのかもしれないけど、はっきりしないので、自宅で安静にして様子を見てください」は?!?って感じでした。わからないまま帰すの?仕方なく家に帰って寝てたのですが、翌日になっても出血も痛みもおさまりません。そしてとうとう、塊のようなものが出てきてしまったのです。夜中だったので、病院に電話して相談したのですが、前日と同じ若い先生が「もう出ちゃったんなら、明日の朝の外来で診てもらってください」そんな対応もないんじゃない?と思いましたが、翌日、その「塊」を持って外来へ。主治医の先生がいない日だったので、初めての先生でしたが、やはりその塊は、赤ちゃんだったようです。
お腹の中に少し残っているので、手術をするか、自然に出るのを待つかと言われましたが、あの手術のつらさを考えると、自然に待つ方が良かったので、数日後の、主治医の先生の受診日まで待つ事になりました。主治医の先生に診てもらった時もまだ少し残っているとのこと。でも、「少しなので、その場でかき出します」と言われました。これがまた痛い・・・。「子宮ガンの検査の時にやるのと同じ程度だから大丈夫」と言われたのですが、しばらく動けないほどでした。

この時は、赤ちゃんがすでに出てしまっていたので、染色体の検査などはできないと言われました。なので、このときの流産の原因は不明です。でも、私自身はやはり、流産後すぐの妊娠で私のお腹の中が整っていなかったのが原因だろうと思っています。「私のせいで赤ちゃんを亡くしてしまった」そう思っています。
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私の場合?3人目の天使? 
3人目の天使がやってきたのは2002年2月。夫が開業(整骨院)のため、それまでの職場を辞めて場所探しをしていた時です。2月始めの2週間は、私一人四国の実家でのんびりさせてもらっていました。その間にも、なんとなく体調がおかしいな?という感じはあったと思います。その後は、引越し先が決まるまで、東京の夫の実家で過ごしていました。
やはり生理が少し遅れたので、妊娠検査薬を試しました。結果は、予想通りの陽性。しかし、引越しも決まっていなかったこと、もう近いうちには、引越し先を決めて引っ越すこともあり、どこの病院に行けばいいのかわからず、引越したらすぐに病院に行くということにしました。
2回の妊娠からは、お互いの両親にも妊娠と流産の事は報告していません。この妊娠も、安定期に入るまでは誰にも言わないことにしました。
つわりの中、引越し先を探したり、慣れない夫の実家で気を遣いながら過ごす事は、私にとってかなりのストレスでした。「早く引っ越して落ち着きたい。病院にも行きたい」そんな事ばかり言う私に、夫は少し困惑気味でした。3月中旬、やっと引越しが決まりました。引越し先には、近くに産婦人科の病院は大学病院しかありません。紹介状が必要なので、前回まで通っていた病院で書いてもらうことにしました。その時すでに8週目に入っているはずでした。

しかし、内診の結果は・・・「赤ちゃんが育ってない」思いがけない言葉でした。そろそろ心拍も確認できる頃だと期待していた私。引越し先の病院で手術することにして、紹介状を書いてもらいました。
帰りの電車の中、悲しみと後悔で涙が止まりませんでした。「もっと早く、病院に行っていれば助かっていたかもしれない」いろいろなことを後悔しました。
引越しの作業がいけなかったのか?毎日、実家と引越し先を車で片道2時間半行き来していた事がいけなかったのか?
引越し先の病院では、「2回目の流産のときに何で検査を始めておかなかったのか」と叱られました。前の病院では、「3回流産したら」といわれていたのに・・・。今となっては、ほんとにもっと早く検査を始めていればと後悔しています。この時はまだ、「不育症」というものを名前すら知りませんでした。

こっちの病院では、手術のときに2泊も入院しました(前は1泊)またあの痛くてつらい思いをするのか・・・流産は、精神的にも肉体的にもかなりの負担になります。初めての時のようなパニックには陥らなかったものの、ほんとに辛いものでした。
退院して2,3日経った頃でした。夜中に子宮が潰されるような激痛と、大量の出血。慌てて救急外来に行きましたが、子宮が収縮している事によるもので心配はないと言われました。

赤ちゃんの染色体の検査の結果は、異常なし。こうして、私の不育症との戦いが始まったのです。
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プロフィール

みぷー

Author:みぷー
生年月日:1974年5月24日
出身:高知県
現住所:埼玉県
家族構成:夫・長男(04.2.7生)
好きな芸能人:藤井フミヤ
好きな食べ物:唐揚・エビフライ

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